好きな音楽にまみれた男の日常

自己紹介

1964年11月生まれ。東京都目黒区出身。

クラシック好きな父とR&B好きな母との間に生まれる。兄弟は姉がひとり。
小学校と中学校は区立。高校は中目黒にある私立目黒高校。いまでは目黒学院と
名称が変わった。男子校だったのが今では共学。高校時代、中目黒というと
おしゃれな感じは全くしなかった。それが今は信じられない変貌を遂げている。
自分が卒業した学校の名前が変わるのはいいけど、男子校から共学に変わるとは
空前絶後の共学でしかない。

音楽はクラシックはごく普通に家で流れていたが、誰の曲だかまったく分からず。
小学校の音楽の授業で「名曲を聴く」というのがあった。個人的には毎日家で
聴いているような音楽だったのは鮮明に覚えている。
積極的に聴いたのは、小学校高学年に聴いた「カーペンターズ」で洋楽とエレキ
ギターの音に目覚めた。

その後、一時「グレープ」、「かぐや姫」等のフォークも聴いたが、やはり洋楽命。
その当時流行していたKISS、エアロスミス等をよく聴いた。初めて行った
コンサートはKISS。前座はBOW WOW。

楽器は、幼稚園の頃にオルガンを習っていた。その当時にオルガンの発表会で
日比谷公会堂のステージに!(今ではまったく記憶になし)。その後、小学校3年
までピアノを習っていた。その後、小学校5年か6年の時にギターを買ってもらった。
その後、洋楽を聴いているうちにごく自然に三大ギタリストを知る。後に生まれて
初めてエレキギターを買った。三大ギタリストに憧れるんだったら、ストラトか
レスポールを買えばいいのになんでだか、ヤマハのSGを購入。

ストラトかレスポールを買っても、基本的にはコピーモデル。だったら、
オリジナルのモデルが欲しい!好きなサンタナも使っているし!という理由で
ヤマハのSGを選択。その後、ヴァレーアーツのスティーブ・ルカサーが使っていた
モデルやフェンダーテレキャスを持っていた時期もある。が、今では手元には楽器は
ない。最近になって、楽器を演奏したいな~、と思うようになった。

音楽は最初はカーペンターズだったが、すぐにKISSに興味が移っていった関係で
DEEP PURPLEやLED ZEPPLINに憧れるようになった。中学まではFMを録音
して音楽を聴いていた。土曜日の午後、リクエストでどんな曲が流れるのか
楽しみだった。ロックを聴きつつ、中学2年の頃にいわゆるフュージョン
ブームに遭遇。果たして、ラリー・カールトンとリー・リトナー。どちらが
かっこよいか!?と大問題に遭遇。

どちらも決められない。。。と優柔不断さを実感した14歳の頃。この頃、まだ
ジャズという音楽がこの世の中に存在していることは全く知らなかった。母親が
レイ・チャールズのライブをテレビで見ていた。へぇ〜、この音楽は好みかも
しれない!と感じたのがR&Bとの出会いだったんだなぁ〜と思うのだ。

ハードロックとフュージョンを聴きつつ、週末のFMで気になる曲を録音。
そんな事をやっているうちに、パンクブームもやってきた!ラモーンズのピタッと
したジーンズ姿に驚き、安全ピンだらけの洋服に驚いた。聴いているとなんだか
パワーを感じて、思わず拳を握り締めていたのがセックス・ピストルズ。LPも
買った。なんだかドキドキして購入したことを記憶している。

そんな感じで洋楽を聴いていた頃に1977年からライブ・アンダー・ザ・スカイが
開催されていた。なんで記憶に残っているかというと、家から二つ先の駅である
田園調布の田園コロシアムで開催されていたから。FMで中継されていたのをドキドキ
しながら聴いていた。

1978年にジェフ・ベックが来日。14歳だから中学2年になるのか。その当時、
ジェフベックが大好きな友人がいて、「ライブワイアー」や「LIVE IN JAPAN」を
聞かせてもらった。「LIVE IN JAPAN」はBECK,Bogert&Appiceのね。これを
初めて聴いた時の驚き!カーマイン・アピスのバスドラの音、ジェフ・ベックの
トーキング・モジュレーター!鋭いギターの音色!いやはやカッコイイ!

ほぼ同じ時期に『永遠の詩』を渋谷のジョイシネマで見た。なんとまあ豪華なことに
『ウッドストック』のライブ映画と同時上映だった。友人に誘われて、2日続けて
渋谷に通った。友人はあきらめて帰ったが、私は2日目に大人に混じって立ち見で
2本見た。なんてったって中学生だから、背伸びして大人の間から垣間見える画面に
ドキドキしていたのは記憶に残っている。

中学〜高校と基本は洋楽。土曜の午後はFM放送を聴き、夜はベストヒットUSAに
ドキドキしていた時代。

初めて行ったライブはKISSだった。中学1年だったんじゃないかな?1月に銀座の
ヤマハにチケットを買いに行った。ライブは3月。2ヶ月後のチケットを購入する
なんて!なんだか信じられないな。とにかく初めて行った武道館。アリーナって
なに?と思ってたので、席は2階だったんだけどなんだか「???」って気分だった。

ライブはすごかったね。前座がBOW WOW。後に、motion blueで山本恭司さんの
演奏を聴けるとは思わなかった。でね、KISSは予習がバッチリだったので楽しめた。

ライブ会場をでて、ライブの音が凄かったので少々耳が聞こえづらい状態の時、
いったい何回こういう経験をするのだろうか?なんて思ってた。

中学〜高校と真面目にジャズを聴いた記憶はない。でも、中学の頃に通り過ぎた
フュージョンブームの洗礼はきちんと受けた。渡辺貞夫さん、ネイティヴ・サン、
カシオペア、プリズム、高中正義さんにドキドキ。また、ラリー・カールトンと
リー・リトナーのどちらが好きか?で真剣に悩んだ一時期もあった。
グローバー・ワシントンジュニアを聴いて「あ〜大人になったなぁ〜」と思った
のもこの頃。

 中学の頃はパンクロックブームもあった。「大人になったら絶対革ジャンを買って
安全ピンをいっぱい付けるもんね!」とワクワクしたもんだ。パンクロックブームの
流れで聴いていたのが、クラッシュやセックスピストルズ。その次がヘビメタ。
やっぱり激しい音楽は最高だよな!と。ここでも革ジャン。そうか、ヘビメタを
見に行くんだったら皮のパンツかピタッとしたG-パンか!ん〜んどちらも無理だな。

 KISSの次に行ったコンサートが、ヤングギター主催のイベントで
「ギターウォーズ」というイベント。今考えると登場した方々は非常に豪華。
まず最初が、金子マリ&バックスバニー。ベースが現在カシオペアの鳴瀬さん。
クリエイションでゲストが森園さん、高中正義さん、ゴダイゴ、チャー、
そしてバウワウ。

三回目のコンサートは記憶にない。中学時代はもう行かなかったんじゃないかな?
高校になってからは、中野サンプラザでホワイトスネイクの初来日と二回目の
来日公演。それに、ジャーニー。あの頃、ライブに行くっていうと中野サンプラザ
っていうのが定番だった。

パンクやヘビメタにドキドキしつつも、邦楽も聴いていたのは当然。あの当時は
カセットをテレビに繋いで、サザンの出演する番組やステレオ音楽館を録音していた。
そうそう、ステレオ音楽館って1日15分という短い時間しか放送しない番組だったけど
ラリー・カールトンの日本公演、高中正義さんのライブ、川崎燎さんのライブなど、
いま考えてみてもテレビ放送されること自体ありがたいと思える内容のものが
多かった。番組の隙間に流されるCMでドキドキしたのが「ブルーラグーン」だし、
和田アキラさんの速弾きする手元をアップでとらえた映像もあった。我ながら
気に入ったんだな。いまでも鮮明に覚えているもん。

 17歳の夏に体調を崩して9月末から約1ヶ月入院した。音楽を持って行ったと思うが
細かな記憶はない。今でも鮮明に憶えているのは、退院間近になってDISCOのDJを
やっている人が同じ部屋に入院した。ラジカセを持ち込んでカセットで音楽を聴いて
いた。それと「アドリブ」を読んでいた。同じ部屋だったので、アドリブを借りたし、
カセットも借りて聴いた。聴いていたのは、「ブラックミュージック」。その方と
話をして「CAMEO」や「ZAPP」を知った。今考えると、ここでもまた背伸びをして
音楽を聴いていたんだな。

 たでさえ、いろんな音楽を聴いていたと思っていた。それ以上にごく自然に
聴くジャンルが広がっていった。それで、立ち読みする音楽雑誌が増えたし、
FMを録音するジャンルも増えた。

 ブラックミュージック、ソウルで踊るっていうのは自然の流れなんだろうけど
踊ったことはない。DISCOにも行ったことはないし、行きたいとも思わない。
自分で「おれは踊れない」と思い込んでいるだけかもしれないが。。。

 大学生の頃に「角松敏生」さんの名前を知った。いつ、どこでどのように
知ったのか?全く記憶にない。一度だけ渋谷公会堂(今はない)でライブを
見たことがある。入場と同時に客席についた人が紙飛行機を折ったいるのは
なんでだろう?と不思議に思ったのはいい思い出。

 角松さんは活動をお休みするまでの間、ずーっとアルバムが発売されると
購入していた。それに彼のFM番組は録音して繰り返し聴いていた。
年齢が50歳を超えた今になって考えると、角松さんを聴いていていろんな
artistの名前を知るようになったし、演奏を聴くようになった。

そんなひとりが、マーカス・ミラー。彼は角松さんのアルバムに参加していたし、
彼がプロデュースしていたのでサンボーンの名前を知った。そう、サンボーンは
マーカス・ミラーから知った。マーカスからサンボーンを知って、そういえば
マーカスを知ったのはいつだっけ?と冷静に考えるようになる。それで自然と
マイルスの名前が浮かぶ。

大学に入学したのが1984年。マイルスが新宿でライブを行ったのが1981年。

 サンボーンを聴くようになったのは、マーカスがベースを弾いているから。
最初に聴いた作品は「CLOSE UP」から。サンボーンを聴くようになって
久しぶりに耳にした名前が「ハイラム・ブロック」。24丁目バンドのギター
だった方。う〜ん懐かしい!こんなところでこんなタイミングで再会するとは
思わなかった。使っていたギターがハムバッキンングが付きのストラト!
そしてペイントはいい感じに禿げていた。

 ま、いろいろあって社会人になった。社会人になったのは1989年だったかな?
最初の頃はとにかく忙しくて音楽を楽しんでいたって記憶はない。通勤時間に
音楽を楽しむためにDisc Manを購入したのもこの頃。そして最初で最後になった
LIVE UNDER THE SKY に1992年に参加。パット・メセニーかサンボーン
どちらに行こうか?迷ったけど、結局サンボーンと憧れのマーカス・ミラーを同時に
見ることができる、日曜日の方に参加。前日は会社関係の方の結婚披露二次会。
少々呑み過ぎたけど、行く前に駒沢公園を自転車でぐるぐる回ってお酒を抜いてから
よみうりランドへ。暑いったらなかった。ライブは15時から20時位までだった
かな?暑くて食欲はなかった。何を食べたたのか、25年以上経過した今では記憶に
ないけどビールを呑みまくっていたのだけは鮮明に記憶に残っている。呑んでも
汗をかいて酔わなかったな。

 サンボーンとマーカスの共演を感激してみたとき、ベースを持っていた。素直に
ジャズベースかプレベのコピーでも買えばよかったんだけどね。スタインベーガー
のようなスタイルのヤマハのベースを購入。なんでこのスタイルのベースにした
かと冷静に考えると、その頃よく聴いていたRUSHのゲディ・リーに憧れたんだと
思う。けどね、憧れだけではうまくいかない。数年後ベースを手放した。今では
ベースを再度買い直して冷静に練習したいと思っている。その時購入するのは
絶対にジャコモデルのフレットレスだぜ!と心に決めている。けどさ、ほぼ初心者
の自分がフレットレス!?ってのも何気に冒険だ。
 
 社会人になって数年後青山のブルーノートに初めて行った。今の場所とは違う
骨董通り沿い。初めて行ったのは、アストラッド・ジルベルトだった。早く行ったら
いい席に座れるということを知らず、ゆっくり行ったらステージ真横の席でほとんど
見えなかった。それから、数年間は移転前のブルーノートには通った。

 ラリー・カールトン、マーク・ホイットフィールド、デビッド・サンボーン、
マイク・スターン、リー・リトナー。ライオネル・ハンプトン、チャカ・カーン
ブレッカー・ブラザース、マーカス・ミラー、ゴンザロ・ルバルカバ。と、
見に行った。

 ブルーノートに行くまでは、ライブは数ヶ月前にチケットを購入。数センチの
大きさでARTISTの姿を見て、おしまいって感じだったのが。移転前のブルー
ノートだったら、小さな大学の教室程度の広さで演奏を楽しめた。もう、なんだ
ろう。。。。すごすぎて、言葉にならなかった。

 そんな感じにブルーノートに通っていると、自然とジャズに興味を持ってくる。
その当時、モノレールで通勤していた。モノレールの浜松町駅にあった本屋で
ジャズライフやスイングジャーナルを購入し、分からないなりに読み漁っていた。
今ではネットで情報を得ることができるが、ネットがない時代は雑誌やCD SHOP
に通うしかなかった。それにレンタルSHOPでCDを借りまくるようになるのも、
もっと後のこと。聴くということに関して冒険は出来なかった。その反動で、
今聴きまくったり借りまくっているのかもしれない。

 聴き始めの頃は、ジャズの入門書を教科書として手元に置きそれに紹介された
作品を購入。「これがジャズか!」と思って聴いていた。あの時は勢いだった。
作品をひとまず手元に置いて、聴く。自分に響くか?考えて聴いていたのか?
今考えると疑わしい。これがジャズか!とただ無心に聴いていた記憶がある。

 強引に聴いていたから、ひかれない音楽は自然と聴かなくなる。そんな中でも
聴いてたのがマイルスだった。マイルス、SHOPに行くといっぱい並んでいるけど
一体どれを聴いたらいいんだろうか?困ったな。なんだかマイルスをもう少し
知り担だけど。。。そう思っているところに出会ったのが「マイルスを聴け!」
だった。

「聴け!」っていう命令調は嫌だな。文庫本で意外と高かった記憶がある。
嫌な感じ。でもどんなことが書いてあるんだろうか?と手にとって読む。
こりゃ面白い!と購入。SHOPに行ってもマイルスのコーナーにはたくさんの
CDが並んでいる。マイルスの活動している期間は長い。マイルスを聴こう
かな?と思っていても、一体どれを聴けばいいのだろうか?と思ってしまう。
私がそうだった。そんな人にとって、「マイルスを聴け!」は最高の本だと
思う。「マイルスを聴け!」を読み、中山さんの解説に興味をもったアルバムを
買った。

 いつからCDを借りるようになったのか?大学時代、駅前にレンタルSHOPが
あった。けどね、ガンガンイケイケで借りるようになったのはCDRにコピー
できちゃう世界になってからだな。TUTAYAが自由が丘にできて、マイルスの
コーナーにまだ聴いたことのなかったアルバムが並んでいるのにドキドキ。
まとめて借りまくってコピーして聴いた。

 聴いても(おかしな言い方かもしれないが)、自分の中にスーッと入ってくる
アルバムと今一つのアルバムがあるのに気がつく。いくら一般的な名盤であっても、
その人にとって聴くタイミングじゃなかったら名盤じゃないと思う。

基本的にロックを聴いていてそれからジャズを聴くようになった。エレキギターが
参加している演奏が正直よかった。静かな演奏の曲は物足りなかった。アルバムで言うと
「KIND OF BLUE」は今一つ。「WE WANT MILES」は最高。70年代の電化マイルスは
いいんだけど、一曲が長すぎ。。。そんな感じにね。

そんな思い込みに変化を与えてくれたのは、音楽じゃなくて書籍だった。小川隆夫さんの
「マイルスデイビスの真実」を手にした。分厚いな。読み終えることができるかな?
そんな事を思いながら図書館で借りた。図書館だからムキになって読まなくてもいいよな!
なんて軽い気持ちでいたんだけど、この本に引き込まれるようにあっという間に読了。
そして、マイルスを再び聴く。

 小川隆夫さんが音楽ゼミナールを開催されているのは、ご本人のブログを愛読していたので
知っていた。でも、土曜日って休めなかった。その後、早退してもOK!っていう風に会社の
ルールが変更になった、行ってみようかな?と思った時点では一人で仕事をしていたので
土曜日休みは無理だった。土曜日に早退できるようになり、日曜日も休めるようになってから
音楽ゼミナールに参加するようになった。今考えるとすごい勤務状況だったよな。

「マイルスデイビスの真実」を読み終わったかどうか正確な記憶はないんだけど、
小川さんのイベントに初めて参加した。場所は自由が丘。日曜日の夕方であった。
小川さんのブログを読み返すと2009年7月5日だ。自由が丘だったら近いし、休日だし
行けるじゃないか!と即申し込んだ。会場は、自由が丘の駅周辺から少し離れたところに
あった。参加後、小川さんのブログに当日のことが書かれていた。私の後頭部が写った
写真が載っている。

 小川さんのイベントに初めて参加して、これは今まで以上にジャズを真面目に
きいていこう!なんておもった記憶がある。別にね、あえて聴かなくたってなんの
問題も起こらない。でもね、自分にとって音楽を聴くっていう行為は、空気を吸って
いるのと同じ事。出来るだけ平和な気分で音楽を聴きたいと思うのだ。だから、自分の心の
底からどんな音楽を聴きたいのか?を感じるのが必要。今の自分の心境にフィットした
音楽は何かな?なんて事を考えながら聴く音楽を選ぶのだ。我ながら考え方が大袈裟。

 ジャズに興味が移ると自然とロックは聴かなくなる。フジロックには行ってみたいと思うん
だけど知っているアーティストが少ないのが現実。ライブを見に行くっていうよりも
イベントに参加するって感じだね。だから余計にロックからは縁遠くなっているのが
現実。