あれから12年経過したんだな。
あの日、二子玉川にある会社で働いた。揺れに気がついて、
周りの人と大急ぎで外に出た。職場は地下だったので、
猛ダッシュでね。会社は246に面してた。道路標識が音を
立てて揺れているのが怖かった。会社のある建物の外壁が
剥がれて落ちてこないか?なんて上を見て思ってた。
地震直後に家に電話。ひとまず両親の無事を確認。その後
揺れは続いた。対面に座っていた同僚社員の方は、家が近く
だったので家の状況を確認しに帰った。職場は地下だったので、
地上との出入り口は何かあっては大変だ!と年長者の方の一言で、
開放された。地震直後から246を通る車の数が急増。車内にいた
お客様も帰っていった。一応、席には着いてはいたけど、
今考えると一体何をやっていたんだろうか?11年経過してもそこの
部分の記憶はない。
施設の担当の方を探せ!と指示があった。でも、エレベーターは使うな!と。
階段で上に行ったり下に行ったり大忙しであった。17時過ぎに一段落して
席に戻った。けど、仕事は手につかず。と言ってネットであれこれ検索して
いたのかな?正直記憶にない。勤務時間は18時まで。1時間ほど椅子に
座っていたことになるんだけど、電車の運行状況を確認してたのかな?
映像ニュースも流れてたんだろうけど、見た記憶は全くない。
何だか津波が!っていうのはその頃聞いた。事務所内にテレビはなく、
テレビを見るんだったら地下から建物の2階まで移動する必要があった。
そこまでして見たくない。いつまた余震が来るかどうか分からないという
恐怖感の方が先になっていたんじゃないかな??
勤務時間は18時まで。電車が動いていない。歩くしかない。待っていても
どうしようもない。18時少し過ぎには会社を出た。246は車で大混雑。
246沿いの道を歩く人も多数。会社近くの自転車屋さんで自転車を購入
している人の姿も。環八を越えてすぐのコンビニでお酒をパンを購入。
家へ帰る道は自転車通勤をしていたので、迷うこともなく裏道を通って
歩くことにした。頭上にはヘリの音がした。ちびちび飲みながら家を
目指す。
人とすれ違うことはほとんどない。途中で、外で子供をあやしている方に
遭遇。和む。地震にビクビクしているのは私だけなのだろうか?なんて
気持ちになった。地震がリアルな出来事のように思えなくなったが、
目黒通りに出たら現実を感じられた。目黒通りを歩く人!コンビニは
混雑。途中でトイレに行こうかな?お酒を買い足そうかな?なんて思って
たのは甘い考えだった。途中で買い物をしようかと思ってたスーパーは
すでに閉店で真っ暗。駅前のスーパーに寄ろうかと思ったけど、やめて
家の近所のドラッグストアで牛乳を買った。そのお店は、地震?って感じで
商品棚は綺麗でお客さんの数も少なく。地震なんてそこにはあったことが
嘘のように思える状態だった。
家に着いた。リビングの食器戸棚は全くダメージはなかった。父の部屋の
棚に並べていたものは床に散乱。私の部屋は棚に置いていたCDが落下して
床に散乱。唖然とする状況だった。帰宅して、食事。もう少し飲み風呂に
入って寝た。余震も続いてた。部屋の電気はつけたままで、スニーカーを
部屋に置いて寝た。
あまりニュースを見た記憶はない。見たら止まんなくなりそうだし
そこまでの気力がなかった。ひとまず、家が無事で良かった。ただそれだけ
思ってた。
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