クラシックを聴こう!と思った自分。モーツァルトを聴こう!と思っても
モーツァルトの何を聴きたいのか?と自問しても答えなんて出てこない。
基本的に、クラシックは小さい頃から聞いてはいたけど、誰の作品かなんて
気にしちゃいない。その後、オルガンやピアノを習った。
だけど、その後洋楽を聴くようになりロックやポップスを聴くようになった。
ま、冷静に考えれば聴けば聴けた。けど、聴かなかった。その当時、父親はLPや
CDをわんさか持っていた。聴きたい!といえばいろんな作品があったと思う。
だけど、今でもそうなんだけど、何を聴きたい!という具体的な希望がない。
ぼんやりと「聴きたい!」という希望があるだけ。そういう自分にとっては、
クラシックって敷居が高く感じた。
それに、モーツァルトやベートベンの生きた時代。1700年代っていうのが、
もう信じられないのだよ。今から200年以上の前作品だぜ!どうも、昔すぎて
信じられないのだ。今ひとつ以上に基本的にピンとこない。
ま、1950年代のジャズの作品はどうにか理解できる。それよりも昔の作品に
なってくると、もう何が何だか未知の世界(こういう言葉はおかしいけどね)。
だったら、今回なぜ「聴こうか!」と思ったのか?
ま、いいか!ひとまず聴いてみようか!と考え方を変えた。ただそれだけ。
基本的に、聴きたいものを聴きたい。協奏曲や交響曲、管弦楽とか色々
あるだろう。どれが自分にフィットするかはひとまず聴いてみないと
分からない・
今回聴こうかな?と思って、タワレコのクラシックフロアに足を踏み入れた。
不思議なもので、居心地が悪くない。アウェイ感を感じない。今がその時、
聴く時なんだろうな!と身体で感じた。だけど、どこに何があるのかさっぱり
分からない(苦笑。
話を元に戻す。
さて、クラシックというとどんな曲を思い浮かべるか?
「運命」、「威風堂々」、「トルコ行進曲」、「第九」。そんな程度。
誰の作品か?なんて言われても分からない。けど、いいんじゃないか?
聴くぜ!という気持ちが大切だ!(自分で自分を慰めているような気がするが
そう思う。)
そんな私がどうやってクラシックを聴いていくのか?記録してみよう。
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