好きな音楽にまみれた男の日常

緊急事態が日常事態へと

 1日の感染者数が三桁になっているのが、ごく普通に感じる。
今年の冬から1週間ごとに激しく動いているよな。
なんとなく、やばいかな?と思ったのが1月後半。花粉症だし
マスクを予備で購入しておこうと一箱千円以下で60枚以上入った
物を購入。
 日本でも感染者がでて、あれよあれという間に今のような状態に
なっていったというのが実感。マスクが買えなくなり、紙類も買え
なくなった。住んでいる地域によって違いはあるようだけど、私の
住んでいる目黒区の都立大学周辺に関しては、紙のハンドタオルは
まだあまりない。それ以外の商品は並んでいる。

 非常事態である。正直もっと厳しいものかと思った。社会の動きを
いったん止めちゃうのかな?なんて思ってた。3月の企業決算に大きく
影響が無い時点で少しの間だけ経済活動を止めてしまうのかと思った。
そうでもしないと、3月に決算を迎える企業が大打撃になるんじゃ
ないのかな?と思ってたけどね。ま、冷静に考えるとその頃は非常
事態宣言をして行動制限をする様々な数値じゃなかったのかもしれない。

 でもね、やばいんじゃない?という意見もあったんじゃないのかな?
なんて今になって考えると思う。このままじゃ国民同意を得られないん
じゃないか!?なんて。いざ、非常事態宣言が出されたら「あれ?
こんなもんなの?」というのが個人的には実感。これで押さえられるの
ならばそれはそれで最高な

 現実的には、厳しいんじゃないかな?と思っている。人と人との接触を
極力抑えるのは分かる。じんわりと強硬な姿勢を国がとらないのは問題。
じんわり非常事態を続けていると、非常事態が日常の事態になってしまって
いるように思えるのだ。

 企業はどうする?この時代、多くの企業は打撃を受けている。企業は
収益の予想をする。その予想をどうすればいいのか全く分からないだろう。
早く収束してほしい!と多くの人は考える。それは現実。そう簡単には
いかないのも多くの人は分かっているだろう。根拠のない楽観論ほど
怖いものはないと思っている。

 緊急事態が日常になっている日々である。なんだか変に思える。
いっとき強引にでもバーンとほとんどの動きを止めた方が手早いんじゃ
ない?なんて最近思うのだ。手段は強引かもしれないが。