好きな音楽にまみれた男の日常

母親入院前 備忘

父が亡くなった年、梅雨明けは以上に早かった。
納骨の日もただひたすら暑かった。母を姉に頼んで、
渋谷経由で帰宅。無事納骨が終わってホッとしてた。
後日、母を姉に預けたことで姉からクレームが入った。
納骨が6月30日。翌日が父誕生日。生きていれば90歳に
なったんだよな、なんてことを思いながら母とそうめんを
食べてたら石屋さんから埋葬に関しての書類の件で電話があった。

午後、表参道の林檎のお店に行って時計を購入。その年、
梅雨明けが早かったので夏が長い。かつ暑かった。母は食欲が
なくなりソファーで横になっている時間が長くなった。

何月か記録がないけど(病院の領収書を遡ればわかるか)
救急車を呼んだ。その頃、訪問診療が開始してない頃だったか?
日曜日で朝からソファーで
横になって21時頃だったか、救急車を呼んだ。一応、OS-1や
ポカリを飲んでもらってはいたけど、そもそもその分量が少なかった。
気持ち悪いと言って若干反応が悪いかな??と思ったので電話。
大岡山駅の上の病院へ。薄暗い救急の待合室で一人待っていた。
見事なまでの心細さ。姉に連絡はしたと思うけど、記憶にないな。
点滴を受けて、回復。やれやれと帰宅。その翌週の日曜日の午前中にも
運ばれた。10時過ぎに救急車を呼んで、点滴をしてもらって回復。

9月だったと思うけど、夏の終わりにも再度救急車のお世話になった。
救急のDrは正直感じ悪かったけど(苦笑。点滴をしてもらって、帰宅。
3回目の救急車以降は夏も終わりになったからかぼちぼちの状態。
次に起こったのが、日比谷野音で高中さんのライブを見た翌日。
10月14日。夜眠れなかったようで、後になって分かったんだけど入眠剤を
多く飲んでしまってた。往診を依頼。ケアマネと姉にも連絡。足が痛いと
いうので地元の救急病院へ。念の為レントゲン。骨には異常がなかった。
姉も来てくれたのでにこやかに食事。(14時過ぎ)。夕飯の時間になって
食事はしないで、もう寝ると。薬の関係か食事の時間の楽しげな雰囲気は消え失せ、
泣いていた。なだめすかして、眠りについてもらった。
翌朝5時前に部屋に状態を見に行った。BED上ではなく床で寝ていた。
部屋の扉を静かに開けたら、途中で扉が動かなくなった。頭を突っ込んで
確認。母親の脚だった。どうにか方向を変えて扉を開けて入室。
母親を抱えてBEDの上へ。見事に爆睡。5時の時点でその日定時に会社に
行くのを諦めた。その日からヘルパーさんが入る予定だった。
ヘルパーさんがやってきたのと、ほぼ同時にケアマネさんも来宅。
どうにか自分の部屋から移動。12時過ぎに会社へ向かった。