好きな音楽にまみれた男の日常

記憶(この時期は嫌)

この時期は好きではない。ここ数年の出来事を思い出す。
4年前の5月に父が亡くなった。
その年の夏は猛暑で母親が熱中症で、4回救急車にお世話になった。

夏が終わったと思ったら、母親の体調が徐々に悪化。
訪問診療に変更し、ヘルパーの方もお願いする。
10月は毎週のように出来事が勃発。スムーズに過ごす時間が貴重となった。
あの時は、その場その場で目の前に怒っている事象に対応していることが
精一杯。最終的には何かが起こるんだろうと予感はしてたけど。

母親は徐々に食事をとる事が困難に。一体母親の身体中で何が起きているんだろう?
お腹が出てきた、と不思議がっていた。11月になって、ケアマネさんと面談中に気分が
悪くなり血圧低下。仕事中にその連絡をラインで受けた。自分の心拍数が跳ね上がる
のが分かった。

ショック状態と往診のDrが。そりゃそうだろう。でもなんでそうなるのか?
その翌日、救急車で病院へ。腸閉塞と。救急車に同乗して広尾へ転院。その数日後に
広尾の病院で手術。手術すると決まった日は携帯にDrから電話があって、病院に来て
下さいと。手術は11月の頭。仕事的には非常に慌ただしく落ち着いて仕事をできる精神
状態では状態ではなかった。

広尾の病院には12月に退院するまで、よほど仕事が忙しい時以外は毎日通った。
手術は無事に終了したけど、回復は牛歩のような感じだった。11月末から店員の準備。
結局、腸閉塞を起こしたときに最初に運ばれた病院にお世話になることにした。
12月末に広尾を退院し、介護タクシーで地元の病院へ。事前に何度も繰り返し説明してた
つもりだったが、家では無いことに睨まれた(苦笑。翌日に面会に行ったらごく普通だった。

広尾では吐き気を感じる事が度々。退院前に胃カメラも行い問題ないことを確認。
広尾での最後の食事は完食。地元の病院に転院してからも、吐き気を感じる事があった。
吐き気は翌年に退院してからも春先まで数回続いた。結局なんでだか分からず。

体重は12月末に地元の病院に転院した時点で40キロほど。退院当日の写真も残っている。
心何処へ?と言った感じ。個人的には、10月からの数ヶ月間は自分の誕生日もあるけど
嫌な期間である。