基本的にギターとベースが好きで、トランペットやサックスは興味がなかった。
例外がサンボーンだった。マーカス・ミラーが参加していたからね。マーカスは
角松さんのアルバムに参加していたし、角松さんのFM番組でサンボーンの新譜を
紹介していた。角松さんのFM番組でフィリップ・セスのソロアルバムを特集して
たのを聴いて「落ち着くなぁ〜」と感じたのを覚えている。
1992年の最後の年のライブ・アンダー・ザ・スカイは、サンボーンとマーカス、
二人の共演だったからドキドキして見に行った。毎年、ライブアンダー〜の
テレビはチェックしていた。FM放送もね。マウントフジのジャズフェスも見てた。
なんで見ていたのかな?なんだか凄そうと思ったのか?基本的にジャズフェスと
いっても、ジェフ・ベックと共演したスタンリー・クラークやアル・ディメオラの
ようにヤングギターやプレイヤーを読んでいると名前が登場してくる人もいる。
それで演奏を聴いてみたくて見ていたのかな?背伸びだったのかな?1992年に
ライブ・アンダー・ザ・スカイに行った。マイルスが亡くなったのが1991年。
この時はマイルスのアルバムを何枚か聴いてはいた。活動再開後のマイルスの
作品と買って即後悔した「ビッチェズ・ブリュー」、「DIG」は聴いていた
記憶はある。そのマイルスが亡くなったのか。。。当時スイングジャーナルと
ジャズライフを購入し、マイルスの過去の作品を聴こうかな?と思っても、
どれから聞いていいんだろうか?と。「マイルスを聴け」を初めて読んだのは
2000年に発売されたVersionだった。この本は本当に参考になった。
ブルーノート東京が開店したのが1998年私が大学を卒業した年。
初めてニューヨークに言ったのは1993年。今考えると、マイルスが亡くなった
1991年、ライブ・アンダー〜を初めて見に行ったのが1992年、初めての
ニューヨークが1993年。その間に青山のブルーノートに数回行っていた。
ブルーノートに初めて行ったのは、アストラッド・ジルベルトのライブだった。
開演前に駆け込んだからか、ステージほぼ真横の席だった(涙。
その後は、ラリー・カールトン、リー・リトナー、ブレッカー・ブラザース、
チャカ・カーン、マーク・ホィットフィールド、ライオネル・ハンプトン、
マイク・スターン、サンボーン、ラリー・カールトンとスティーヴ・ルカサー
共演、ゴンザロ・ルバロカバ等のライブに行った。これは移転前のブルーノート。
マイルスが亡くなったのをきっかけとして、ジャズを少し真面目に聴くように
なったってのが現実なのかな??
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